登場人物
- 私(女性):20~30代女性
所要時間(300文字あたり1分として計算)
約6分30秒(1996文字)
台本についての補足説明(ディレクション等)
特にありません。自由に演じてください。
本文
ベッドの揺れで目が覚めた。
ーーー朝6時。
しっかりメイクをするとしても、起きるにはまだ早い。
しないけど。
はがした布団に再び身を包み、枕に頭をうずめる。
***************
スマホのアラームが鳴る。
ーーー朝8時。
起きるか。
ベッドから身を起こし、スマホから鳴り響く警告音を止め、ついでにホーム画面を確認する。チャットアプリにメッセが届いていた。友人からだった。
「大丈夫?」
なんのことだろう。メッセージの履歴を確認しても、文脈のつながりはない。おそらく、私の精神状態を心配してくれているのだろう。
「大丈夫だよ!」
送ろうとして、やっぱりやめた。
まだ、寝ているかもしれない。起こしたら気の毒だ。
睡眠は何より大事だから。
そのままアプリを閉じ、洗面台に向かう。
昨日はいつもよりよく眠れた。目の下のクマが薄くなった気がする。
洗顔をして、化粧水をつけたら、簡単にベースメイクを済ませる。
クマを隠せたら十分だ。
アイラインを引いたら、もうメイクはおしまい。
コップに水道水を注いで、飲み干す。
ーーー朝8時半。
バイトに行く時間だ。
アルバイト先の個人経営の熱帯魚店に向かう。
ここで週に5日働いている。
特に熱帯魚が好きというわけでもないが、家から近くて都合がよかった。
「俺の影響だろ?」
後ろから声がする。
「俺が飼ってたネオンテトラ、ずっと見てたもんな?」
ーーー消えろよ。
心の中で念じる。もしかしたら実際に口に出していたかもしれない。
でも、依然として幻聴はやまない。
別れてからもう三か月も経つのに、自己主張の激しい男だな。
ボディバックから向精神薬を3錠取り出し、水なしで飲み込む。
まだ声は聞こえるが、消えるのは時間の問題だ。
まっすぐに前だけ見て歩く。
腹部を蹴られたような鈍い痛みがよみがえった。
熱帯魚店についたら、施錠されている入口を開け、荷物をレジ裏に置き、店内を点検していく。よし、みんな、生きてるね。
一匹だけ、ベタのオスに元気がないヤツがいた。水槽の底でじっとしている。店長にメッセで報告しておこう。
このベタは攻撃性が高いため、多頭飼育していたものを個別飼育に切り替えたばかりのものだ。急に一匹になったから、さびしくなったのかもしれない。
ベタは不思議な魚だ。
オスは闘魚と呼ばれる由縁の通り獰猛であるが、意外にも美しく鮮やかなヒレを持つのもまたオスだ。メスはヒレが短く丸っこくて地味だ。
さらに、後天的に性転換が起こる種でもある。
稚魚の時期にメスからオスへ転換する場合が多いようだ。原因は詳らかにはなっていない。
幼いメスは、美しくなりたくて、長いヒレをもつオスになるのだろうか。
だが、オスになれば攻撃性をもち、争いの世界に身を投じなければならない。
せっかく手に入れた鮮やかなヒレも、その争いで傷ついてしまうのだ。
私と似ている。
************
この熱帯魚店には、客はほとんど来ない。
餌を買いに来る近所の好事家が日に数人やってくるくらいだ。地方へ遠征して買い付けした魚を繁殖させて、ペットショップや水族館へ卸すのが主な収入源のようだ。
だから、私の業務も、給餌と水槽の清掃が主となる。
日常の清掃であれば、生体を水槽にいれたままで行う。
なるべく魚たちにストレスを与えないようにゆっくりと丁寧に。
壁面をブラシとスポンジでこすり、苔を落とす。
濾過フィルターを掃除する。
3割くらいの水を捨てて、新しい飼育水を入れていく。
今日は、元気がないあのベタの水槽も清掃するルーティンだ。
店長からの返信はない。
清掃するべきか少し悩んだが、指示がない以上はいつもの通りにやるのがいいだろう。
後回しにしていたが、もうこの水槽以外は清掃してしまった。
ベタのいる水槽に、スポンジを持った手をそっと差し入れる。
基本的にベタは人懐こい魚で、個体によっては手に寄ってきてじゃれるような素振りをみせるものもいる。
だが、この個体は、水槽の隅にじっとしたまま動かない。
この子は、私だ。
仲間にはじかれて、孤独になって、動き出せずにいる。
「大丈夫?」
ーーー「大丈夫だよ!」
美しいターコイズブルーのヒレが少し揺れた。
「君も嘘つきだねぇ」
私は、清掃を済ませると、レジ台に戻り、カバンから薬を取り出して飲んだ。
スマホを取り出して画面を見ると、店長から返信があった。
「了解しました。いつもの通りで大丈夫です。」
ため息をつく。
ついでに友人とのチャットを開く。
「大丈夫だよ!」の未送信メッセージを一文字ずつ消していき、
代わりに、「今度、ごはんでもどう?」と入力する。
送信。
**************
夕方になり、店を閉める時間になった。
今日は久しぶりになにか作ろうか。
帰りにスーパーへ寄ろう。
オムライスか、親子丼かな。
冷蔵庫の卵はもうだめになっているかもしれないから、買っておかないと。
「僕も食べたいな」
後ろの方から声が聞こえる。
私は振り返らず、舌を出しながら店を出た。
