サンダーとファシル

登場人物

  • ナレーション
  • アモン(男):若い羊
  • ミカル(男):村の長老の羊
  • ヤエル(男):老いた羊

所要時間(300文字あたり1分として計算)

約10分0秒(2937文字)

台本についての補足説明(ディレクション等)

特にありません。自由に演じてください。

本文


N:マッシロ谷は緩やかな弓状の草原であり、そこには 羊たちが群れをなして暮らしている。 気候がよく 肉食獣の棲み家からも離れているこの場 所は羊たちの楽園のようであったが、不思議なことが二つあった。 一つは、谷底近くの尖った岩に突き刺さった、異形 の獣の亡骸である。これは風雨にさらされても朽ち ることなくずっと残り続けるその白骨は美しく、ど こか儚くも あり、神秘性を纏っている。 二つは、この谷を狩場とする唯一の狼であるサンダーの存在である。この狼は逸れ者であり、狼の群れ から遠く離れて生活している。そし て、羊たちの群 れはこの狼に決して抵抗しない。いかに狼と言えども、数十匹の羊が同時に相手どれば、どうにかできそうなものだが、彼らは無抵抗を徹底している。そ れどころか、自ずから狼に喰われていくような態度 の者さえ散見された。 若いアモンは、これらのことがどうにも飲み込めず、羊の群れの長老であり、自らの祖父でもあるミカルに尋ねてみた。

アモン「お爺様、僕は不思議でな りません。どうして 谷底の白骨を弔ってやらないのでしょうか。他の仲間たちは、死んだら川に流すでしょう? それに、サンダー… 、あの憎い狼には我慢なりませ ん。一月前には僕の友人が喰われました…。若い羊たちを集めれば狼の一匹くらい追い払うことはでき るはずです。なぜ抵抗しないのですか? どうか、僕にやらせてください」

ミカル「ならん」

アモン「それはなぜ… 」

ミカル「谷底のアレ… 。アレは罪を犯した。まだ禊は 終わっておらん。やがて風化し土に還るまであのま まにする決まりじゃ。 サンダーは… 放っておけ」

アモン「まるで納得できません。まあ、谷底の白骨は この際いいでしょう。 しかし、サンダーについては!」

ミカル「黙れ」

N:アモンはミカルの表情の険しさをみて、何も喋れな くなってし まいました。アモンが若くて体格のいい のに対して、ミカルは年老いたくちゃくちゃの羊で したが、ミカルの態度には断固とした意志が感ぜら れたのでし た。

ミカル「お前は羊じゃ。サンダーは狼。敵う敵わないの問題ではないわ。羊は狼に喰われるのが定めよ」

アモン「そんな! そんなこと…  !」

N:アモン はミカルに背を向けて走り出しました。その姿には絶望、そし て絶望した自分を恥じる気持ちが 滲んでいました。 アモンは自分の限界まで走ろうと思っていました が、その無尽蔵の体力にはマッシロ谷は狭すぎまし た。どうにも消化不良のまま、マッシロ谷の端の谷 底近くにまでついてし まったのです。 アモン はそこで、ヤエル爺さんを見つけました。ヤエル爺さんは頭のおかしい 老いぼれで、幼い頃か らミカルに話しかけてはいけないと口を酸っぱくし て言われていましたが、アモンはミカルへの 反発心 から、ヤエル爺さんと 話をしてみる気分になりまし た。

アモン「ヤエル爺さん」

ヤエル「… お前か、なぜここに来た」

アモン「僕のことを知ってるの?」

ヤエル「んん ? それはなんの冗談だ。君のその見た 目だ。知らぬ者はないだろう」

N:アモン は顔が真っ赤になり、全身が粟立つのを感じ ました。アモン は幼い頃から見た目にコンプレック スを持っていたのです。

アモン「何を言う! 無礼じゃないか!」

ヤエル「… ああ、すまないね。誤解させてし まったよ うだ。ちがう。ちがうんだよ。 今の言葉はむしろ賞賛だ。 君のおかげで私たち羊はのびのびと秩序のある暮らしができているのだから」

アモン「…よくわからないな。何を言ってる?」

ヤエル「ふむ…。何か食い違いがあるようだね。 まあ、この際どうでもいいことだ。君がここに来たということはわしの順番がきたのだろう。 さあ、好きにしたまえよ」

アモン「だから、何を言ってるんだ!」

ヤエル「ああ? これはこれは… 。どうなってるのか … 。ああ… 。ああ! そうかそうか! わかった ぞ! ミカルめ! いつまでも煮え切らぬやつよ! いいぞ! わしが教えてやろう! 化け物め! 谷底の白骨を見るがいい! お前はアレがなんだか知っているか?」

アモン「知らない。知らないけど… きっと、偉大な、 狼よりももっと強い、獣だと… 思う」

ヤエル「ちがうちがう! アレはな、夫婦のつがいだよ! アモン ! よく 見てみろ! なんのことはな い! タネがわかれば見えてくるものだろう?」

アモン「… そうか。頭が二つある。でも、その、夫婦 ではないように思う… 」

ヤエル「なぜだ? なぜだアモン。なぜ夫婦ではない と思った」

アモン「だって… 、あの骨は… 羊と狼の」

ヤエル「羊と狼がつがいになれない? そうだよなあ。普通はそう思うだろう? わしだってそう思っ たさ。 だから、 ミカルの娘には騙すつもりで言ったのになぁ ! あのバカな娘に群れを守るためだと ! 狼を追い払うためにはそれしかないとな!  …まさか成功するとはなぁ!」

アモン「…だから、サンダーには手が出せないのか」

ヤエル「ああ? だからあの白骨がサンダーだよ! いや、サンダーとミカルの娘だ!」

アモン「あ、いや、だって、サンダーは」

ヤエル「サンダーも娘も死んだよ。もうとっくの昔にな。ミカル達に谷底へ落とされて。哀れなもんだ。 お前のような化け物を産んだせいだぜ。 半分狼、半分羊の」

SE 喉笛に噛み付く音

ヤエル「(喉に空いた穴から空気が漏れる音)」

SE ヤエルを地面に落とす音

アモン「(噛みちぎった肉片を吐き出す)。 黙れ」

SE 草原を歩く音

SE 木のドアを開ける音

ミカル「おかえり、アモン。… よく帰ってきてくれ た。わしはお前がもう… 」

アモン「大丈夫ですよ、お爺様。僕は冷静じゃなかっ た。お爺様に無礼を… 」

ミカル「ああ、いいんだ。夕食にしよう。 ああ、一月前に貯めておいた赤い草が残り少なくて な、すまないが… 」

アモン「それも、大丈夫です。久しぶりに青い草に挑 戦してみたら、美味しくて、止まらなくなっちゃっ て。… だから、もう大丈夫です」

ミカル「おお!そうかそうか! お前は体が大きい割に草の消化ができなくて心配してたが… 。そうかそうか! お前も一人前だなあ!」

アモン「ええ、これもお爺様のおかげです」

N:その晩、アモン は家の外へ出て、羊たちの家々を見下ろし、想像を巡らせた。 この群れの全員が俺の生まれを知っている。 白と黒のまだら模様。異形の羊が鋭い牙を剥き出して吠えた。『羊は狼に喰われるのが定めよ』。風のように谷を下っている間、アモンには祖父の声が繰り返し聞こえていた