身代わり人形

登場人物

  • 語り(不問):物語の語り部、ナレーション(兼ね役可)
  • 真梨子まりこ(女):ごく普通の会社員(兼ね役可)
  • 露天商(不問):ローブで身を隠した怪しい商人(兼ね役可)

所要時間(300文字あたり1分として計算)

約17分30秒(5197文字)

台本についての補足説明(ディレクション等)

「人形」というテーマで書いた作品です。比較的王道なお話になったのではないかと思っています。何人かで演じてもよし、朗読作品としてひとりで読んでいただいてもよし、の作品になったと思いますのでお楽しみください。

本文

 カフェから自分のマンションへと帰ってきた真梨子は愕然とした。

「なんなのよあいつ。まだいるわ。とっくにいなくなっていると思ったのに……」

 怪しい露天商のような人物が、オートロックになっている自動ドアの横に陣取っていた。暗い苔色こけいろと思われるローブを身にまとい、フードを目深まぶかに被っているため、男か女かも分からない。加えて、すっかり日も落ちているとあって、遠目には顔も体格も判別がつかなかった。真梨子がそれを「露天商」だと思ったのは、その人物が布のようなものを地面に敷き、商品を広げているからである。

 最初にその人物を見かけたのは、三時間も前のことだった。

 仕事を終えた真梨子がようやくマンションの前までたどり着いたとき、その人物はすでにそこにいた。なぜマンションの前などで商売をしているのか、そもそも許可を取っているのか、何もかもが不思議で、不審だった。真梨子は、一般的な女性が大概そうであるように、普遍的な警戒心を持ち合わせていたため、近づくのをためらった。そこで、早く帰宅したい気持ちをぐっとこらえて身を翻し、今まで、近所のカフェで時間を潰していたのである。

 一時間、二時間、念のため三時間。真梨子はスマートフォンのバッテリーが限界になるまでカフェで粘った。ここまで待てば、さすがにもうあの露天商も店じまいをしたはず。――そう確信しての帰宅だったのに、その人物は変わらずそこにいた。

「どうしよう……警察? でも、あんなに堂々と露店を構えているのだし、許可を取っているのかも。だとしたら、確認しないで通報するのはまずいかしら」

 物陰から動けないまま、真梨子はぶつぶつとひとりごちる。ふと、大家さんなら何とかしてくれるかも、と思いついた。あそこは完全にマンションの敷地内だ。許可を取っているなら大家さんも承知しているだろうし、万一取っていないなら、大家さんに追い払ってもらえばいい。

 焦る気持ちで鞄からスマートフォンを取り出す。大家さんの番号は電話帳に登録していたはず。アプリを開いてスクロールすると……目的の番号を見つけたところでスマートフォンのバッテリーが切れた。

「ああもう! どうせいなくなっていないなら、ギリギリまで粘らなければ良かった! そもそも、最初から大家さんに相談していれば……!」

 後悔の念が押し寄せるがどうしようもない。モバイルバッテリーも持っていないので、真梨子に残された選択肢は二つだけだった。

「深夜までやってるファミレスでさらに時間を潰すか、それとも思い切って突っ切るか……」

 しばらくの逡巡のうち、意を決して、真梨子は足早に露天商の横を通り抜けることにした。明日も仕事なのだし、これ以上遅くなるのは避けたかった。それに、この時間までいる以上、あの人物がいつまでいるつもりなのか予想もつかない。であれば、どこかで腹を決めてしまったほうがいいように思えた。

 手元にロック解除用のキーを握りしめ、脳内でスムーズな解錠動作をシミュレーションすること数回。真梨子は一歩を踏み出した。マンションはすぐ斜め前、道路を渡った向こう側にあるのだが、露天商が手前に陣取っているため、まずは逆方向へと向かう。ぐるっと迂回し、反対側からマンション入り口へと突っ込むつもりだった。

 作戦は順調に進み、……成功するかに思えた。

「もし、もしそこのお嬢さん」

 順調に迂回を果たし、道路を渡って間もなく入り口へ、というその瞬間。

 話しかけられた真梨子は金縛りにあったように、ビタッと足を止めてしまった。仮に何を言われても、無視して中に入ってしまうつもりだった。それなのに、露天商の声を聞いた瞬間、つい、立ち止まってしまった。

 露天商は、男とも女とも判別がつかない声をしていた。深い声だった。その深淵に吸い込まれるように、真梨子は抗えず、言葉を返した。

「……お、お嬢さんって、私?」

「ええ、ええ、あなたです。ちょっと、うちの商品を見ていかれませんか。お嬢さんのようなお若い方に、ぴったりの商品がありましてね……」

「あ、あいにくだけど、もう帰るところなの。分かるでしょ」

「まあ、まあそう言わずに。ほんの一分、こちらのおすすめ商品だけでもいかがです」

 そう言って露天商が手に取ったのは、一体の人形だった。真梨子が幼い頃に遊んでいたような、着せ替え人形のようにも見える。

「私、もう人形遊びをするような年齢ではないわよ」

 怪訝な瞳を向けると、露天商は言った。

「ああ、ああ違います。この人形はお守りのようなものでしてね。『身代わり人形』というものですよ」

「身代わり人形? それって、持ち主の代わりに、怪我とかから守ってくれるっていうやつ? こういう人形のタイプは珍しい気がするけど、よくあるわよね、そういうの」

「おお、おおよくご存じで。そのとおり。この人形は、言わばあなたです」

「私? その割には、ハリウッドセレブみたいな金髪だけれど」

「いえ、いえ見た目など些細なことですよ。ほら、少しこっちに来て。触ってみてください」

「仕方ないわね……」

 真梨子は数歩近づき、なるべく腕を伸ばして遠くからちょん、と人形に触れた。一瞬だが、さわり心地のいいすべすべとした感触が指から伝わってくる。

「ああ、ああ、ありがとうございます。これであなたと、この人形は繋がりました。だから、……ほら」

「え……?」

 それは一瞬のことだった。いつ立ち上がったのかも分からない間に、露天商が、人形を持つ手とは逆の手に持った刃物で、真梨子の腹を貫いていた。

 しまった、と思った。こんな与太話につられて近づくんじゃなかった、と後悔したのもつかの間、すぐに真梨子は異変に気付く。

「痛く……ない?」

 思わず自分の腹を見つめる。露天商が目の前で刃物をゆっくりと引くと、自分の体から異物が抜けていく感覚が確かにあった。だが、すっかり抜けたそのあとには、血の一滴どころか、服に穴も空いていなかった。

「いや、いや驚かせてしまい、申し訳ありません。こうするのが、一番分かりやすいと思ったものですから」

「……随分手品が上手いのね」

「いえ、いえ手品ではありません。その証拠に、ほら。人形のここ。さっきはなかった穴が空いているでしょう? あなたの代わりをしてくれたという証拠です」

「そんなの、私が驚いているうちに別の人形と取り替えたんでしょ」

「おや、おや信じていただけませんか。では、これではいかがでしょう」

 そう言うと露天商は、人形の右腕をぐっと掴んだ。すると真梨子の右腕に、何かに強く捕まれたような痛みが走る。

「いたっ……痛い! はなして!!」

 真梨子が思わず叫ぶと、露天商は人形の腕をはなした。同時に、真梨子の腕からも痛みが消える。

 露天商はゆっくりと腰を折った。

「ああ、ああ、重ね重ね申し訳ございません。でも、これで信じていただけたでしょう? この人形はあなた。あなたの分身です」

 真梨子にはもう、その言葉に反論できる材料はなかった。

「……降参よ。どういう理屈か分からないけど、確かにその人形は私と繋がっているみたい。でも、それなら万一の保険としては良さそうね。交通事故とかに遭っても怪我をしなくて済むってことでしょう?」

「はい、はいそのとおりです。事故どころか、病気や災害なんかでも効果を発揮します。一定の損害を被ると人形側が受け持つ仕組みでしてね。逆に言うと、軽い怪我なんかでは効果が出ない場合もありますが、それはまあ、人形をなるべく長持ちさせるためにそうなっているとお考えください」

「なるほどね。ま、確かにちょっと手を切った、とかで人形の力を使ってしまうのは、勿体ない気もするものね」

「さあ、さあいかがでしょう。ご興味を持っていただけたでしょうか」

「……正直、そうね。魅力的だわ。医療保険とかにお金を使うくらいなら、この人形を持っていたほうが確実そう。でも、これだけ不思議なものだもの。きっとすごい値段なんでしょ?」

「まあ、まあ本来であればそうです。しかしお嬢さんには、今回限り、一体だけ無料で差し上げましょう」

「え、本当に? ……うーん、そう言われると逆に怪しいわ。あとからオプションやらなんやらですごい請求がくるとかじゃないわよね?」

「いえ、いえ滅相もない。お嬢さんのことを、いくども驚かせてしまったお詫びとお考えください。それでは、新品のこちらをどうぞ」

 露天商は、懐から人形を一体取り出すと真梨子に手渡した。先ほどと同様、金髪でスタイルの良い人形だ。真梨子はそれならと人形を受け取ると、礼を言い、マンションの中へと入っていった。

 翌朝、真梨子は机の上に置いてある人形を見て頭を抱えた。

 ゆうべは時間が遅くなっていたこともあり、すぐにお風呂に入って寝てしまったが、冷静になってみると、なんて怪しい物を受け取ってしまったのだろう。あのときは信じこんでしまったが、怪我や病気を受け持ってくれる人形などあり得ない。巧妙な手品に騙されたのだと、思い返して恥ずかしくなった。

 人形自体もなんだか得体が知れないので、できることなら返品してしまいたいと思った。捨てるのはさすがにはばかられた。あの露天商にも、クーリングオフ制度って適用されるのかしら、などと考えながら、身支度を済ませ、朝食をとる。

 コーヒーをすすりながら、ふと、心がうずいて人形へと手を伸ばした。昨日の露天商がやっていたように、人形の右腕を強く握ってみる。

「いたっ!」

 ガシャーン、と大きな音をたてて、コーヒーカップが床にたたきつけられた。右腕に突如走った痛みに、ついついカップを落としてしまったからだった。散乱する破片、飛び散った黒い液体をよそに、真梨子は震えた。

「嘘でしょ……ほんとにほんとなの……?」

 その日から、真梨子と人形の同居生活が始まった。

 まず真梨子を悩ませたのは、人形の置き場だった。

 高いところに飾っておくと、万一落としたときに、自分がどんな怪我を負ってしまうか分からない。とはいえ床に置くのでは、踏みつけたりしてしまうリスクがあるし、何か物を落としてぶつけてしまう危険もあった。

 真梨子は考えて、ベッドに備え付けの棚に人形を置くことにした。頭側、枕元にある、二段の棚だ。ここなら、壁を背にするように人形を座らせれば安定するし、万一落としたとしてもベッドの上に着地する可能性が高い。それに、上段の棚板が屋根になって落下物などからも守ってくれるだろう。毎日目にするところにあるのも安心材料だった。

 置き場所が決まると、今度は人形の身の回りが気になってきた。

 幼少の頃の記憶、真梨子の中にあった女の子の心が刺激され、せっかく飾るなら色々とこだわりたくなってしまったのだ。

 気付けばインターネットで人形用の小物や、服を漁るようになった。日に日に、真梨子の枕元がメルヘンな雰囲気になっていく。一ヶ月、二ヶ月、半年、一年と経つ頃には立派な趣味となり、真梨子の生きがいになっていった。照明などにもこだわり、至極しごくの一枚を撮影してはえつる。何しろ人形なのでスタイルが良く、どんな服装でも写真映えした。

 次は何を着せよう、どんなシチュエーションにしようと考えるうちに、真梨子の家にはミシンがやってきた。ついにこだわりの一着を求めて、衣装の自作を始めた。

「とんでもなく胡散臭いと思ったけど、結果的には良い出会いだったわね」

 いつしか真梨子は露天商に感謝していた。週末を迎える度に、人形をうっとりと眺めながら、ちまちまと衣装の製作を続けていく。そして完成した暁には、そのために取りそろえた小さな家具たちとともに、写真を撮った。

 真梨子の理想がそこにあった。

「私もこうなりたい……」

 三年が経つ頃には、憧れが講じて、自身も人形と同じ衣装を身にまとうようになった。もちろんどちらも自作だ。髪色も、はじめはウィッグだったが、心底人形に近づきたくて、今は定期的に美容室へ通い、金色を保っている。会社に行く際に、むしろウィッグを被るようになった。

 もちろん体型だって、ひたむきに努力をした。おかげで、身長や等身こそ難しい部分はあったが、それ以外は限りなく人形に近づけることができた。今や、真梨子は人形と同じ姿をしていた。

 露天商の言葉が、ふと脳裏を過ぎる。

『この人形は、言わばあなたです』

 真梨子は、自分と人形がイコールであることに心底満足していた。私こそが人形で、人形こそが私だと思うようになった。鏡の前で同じポーズをし、同じ格好で写真を撮った。時折、人形の腕をつねっては、二人が同一であることを確かめる。真梨子は段々と、会社に行くときの自分、黒髪の自分、「人形と同じではない自分」に、苦痛を感じ始めるようになっていった――

 そんなある日のこと。

 真梨子が目覚めると、眼下には大きなベッドがあった。

 そこに寝ている金髪の人物が、のそりと起き上がってスーツに着替え、黒いウィッグを被る。

 真梨子はそれを見て、心の底から嬉しくなった。