散乱する弘法大師

登場人物

  • 佐伯楓(女):14歳
  • 判(男):15歳
  • 小文(女):14歳
  • 佐伯真魚・弘法大師(男):34歳

所要時間(300文字あたり1分として計算)

約14分0秒(4231文字)

台本についての補足説明(ディレクション等)

特にありません。自由に演じてください。

本文

滝の水音。
滝壺の脇にある岩場に腰掛けた、
女子中学生二人が写生をしている。


楓「(腕を上方に伸ばしながら)あ〜、終わったぁ〜」

小文「はっや! まだ二時間くらい時間あるよ?」

楓「集中してやればすぐだよ。目の前にあるものを紙に写すだけだから」

小文「それが難しいんじゃーん。しかも当然のように超絶うまいし」

楓「小文(こふみ)は器用だから、ちょっと練習したら、すぐ私より上手くなるよ」

小文「いやいや。やっぱり日頃から絵を描いてる楓様には敵いませんよ。ほら、その滝の飛沫(しぶき)とか、どうなってんの? とても同じ道具で描いてるとは思えんわ」

楓「あ、これはね。色の濃淡を細かく変えながら描いて立体感を出してるの。ほら、滝って、透明な部分白い飛沫のところのコントラストが綺麗でしょ?ミー散乱っていって、細かい水滴は白く見えるの。だから、水が跳ねてるところと、大きな流れのところを分けて描いて」

小文「ちょいちょいちょい。難しくて全然わかんないよ〜。楓は絵が好きなんだね〜」

楓 「ごめん。ちょっと夢中になって」

小文 「全然全然。それにしてもね〜。ミー、散乱?」

楓「え、うん。ミー散乱」

小文「よくそげんな難しい言葉知っとるね〜?」

楓「…こないだ、授業でやったよ…?」

小文「嘘でしょ。本当は?」

楓「…さっき、判(ばん)くんに、教えてもらった…」

小文「やっぱり! あの知ったかぶりが!」

楓「違う違う。誤解だって」

小文「ほんとに? アイツにまた嫌味なこと言われたんじゃなかと?」

楓「大丈夫だって。判くん、結構話しやすいよ? 物知りだし」

小文「まあ、楓がいいならいいんだけどもよ。アイツ、転校してきてからほとんど喋らんし、無愛想やし、油断しちゃいけんよ?」

楓「油断て…。判くん、いい人だと思うけど」

小文「甘い! 甘すぎ! 楓は影響されやすいんだから気をつけないと!」

楓「シー、シーーー。大きい声出したら聞こえちゃうよ」

小文「聞こえちゃうって誰に…。あ! 判、アイツ、あんなとこにいたんか。滝はこっちにあんのに、あんな地味なとこで何描いとんだか。やっぱり怪しか!」

楓「小文! 声が大きいってば!(岩場で立ち上がる)わ! わ!」

小文「楓! あぶな!」

楓、滝壺に落ちる。
水飛沫が空中に跳ねる。
ゴボゴボと楓の口から泡が出る音。
楓、滝壺から少し離れた水面から顔
を出す。

楓「(水面で足掻きながら岩場に近づく。息を荒げながら岩場に上がり、座って
 休む)ああ、危なかったぁ。…小文? どこに行ったの?」

滝の水音。
修行僧が滝に打たれている。

楓「えええ…。お坊さんが滝に打たれてる…。こんなこと、ホントにあるんだ…」

楓、滝の方へ歩く。

楓「全然動かないけど、大丈夫かな…。あの! あのー!…気絶してる? ちょっと! 大丈夫ですか!? わ!」

修行僧と楓が滝壺に落ちる水音。
ゴボゴボと楓の口から泡が出る音。
焚き火にあたり衣服を乾かす二人。

楓「本当にすみませんでした…。私、てっきり気絶されてるのかと思って…」

弘法 「大丈夫ですよ。私の方こそ、集中していたせいか、貴方が近くにいるのに気づかず申し訳ない」

楓「あの、この辺りで私と同じくらいの年頃の女の子を見ませんでしたか? ちょっとはぐれてしまったみたいで…」

弘法「ほう。それはそれは…。いや、見ていませんね。しかし、…そもそも、この辺りは人が寄りつくような場所ではないはず…。どのような用件で?」

楓「私たち、絵を描いていたんです。この滝を写生していて…。そういえば、絵も道具も無くなってる…。さっき、滝壺に一緒に落としてしまったのかも」

弘法「貴方は絵を描かれるのか。それは結構なことですね」

楓「はい。この滝を描いていたんです  けど…。もう描き直す時間もないし、無駄になってしまいました」

弘法「おや、無駄ではありません。貴方の描いた絵は役に立っています」

楓「そうなんでしょうか」

弘法「ええ、形あるものはいずれ風化 し、跡形もなくなります。仮に貴方が絵を失くさなかったとしても、必ずいつか失われる時が来るのです。ならば問題は、その物が存在しているとき、周りにどんな影響を与えたのか、ではないでしょうか?」

楓「ええ、…でも、私の絵は、ほとん ど誰にも観られる前に失くなってしまったので、小文…、友達一にしか観られていないんです」

弘法「それで充分ではないでしょうか。たくさんの人に観られて、大きな影響があれば良いということでもない。私はそう思いますよ? 道端に咲いた名も  なき花は、多くの人に見られなくとも立派な美しさを持っています。そういった美しさは、誰にも否定できるものでもありません」

楓「なんか…、素敵ですね」

弘法「ええ、世の中は素敵なものなのですよ。…しかし、貴方は浮かない顔をしてらっしゃる。何か気に病むことがあるのでは?」

楓「 あの…、私、学校に行く途中に、スズメの死骸を見つけたことがあっ て…。歩道の真ん中にあって、今にも誰かに踏まれそうで、可哀想だなって思ったんですけど、触るのも怖くて…、それで、何もせずに通り過ぎようとしたんです。そうしたら、伴くんが、…同級生の男の子が、スズメをそっと持ち上げて、私たちと反対方向に歩いていったんです」

弘法「ほう、それから、彼はそのスズメをどう処したのですか?」

楓 「近くの公園へ行って埋めてあげたんだと思います。その方向に歩いていったから…。でも、そのせいで、遅刻した男の子は先生に叱られてしまったんです」

弘法「彼は、先生にその理由を話さなかったのですか?」

楓「ずっと黙ってました。…多分恥ずかしかったんだと思います。その男の子は普段からあまり口数が多くなくて、その、…誤解されやすい性格なので、皆からよく思われていなくて…」

弘法「素晴らしい」

楓「…ん? そうなんです。彼はいい人だとは思うんですけど」

弘法「素晴らしいのは貴方ですよ。そこまで周りのことを観察し、思いを巡らせることは中々できることではありません」

楓「そんな…、私なんて…」

弘法「貴方のような友人がいれば、その彼もきっと大丈夫でしょう」

楓 「友人というわけでもなくて…」

弘法 「ほう! 将来を誓った伴侶であれば尚更、安泰でしょうな!はっはっは!」

楓「え! あ! 違くて!」

弘法「恥じることも焦ることもないでしょう。善悪や美醜を論じても詮なきこと。自分に素直になることです」

楓「ほんとに違うんですけど…。でも、…その男の子が教えてくれたんです。滝の飛沫は粒が小さいから白く見えるって。本当は同じ、ただの水なのに…、ちょっとしたことで違うように見られるって。…彼も、もしかしたら、そういう風に誤解されてるのかもしれません」

弘法「ほう。やはり貴方は思慮深い方だ。しかして、それは誤解ではないかもしれませんし、その誤解も含めての姿こそが彼の真の姿かもしれませんよ?」

楓「私には難しいことは分かりませんけど、彼とは話をしなきゃいけない気がするんです。ものすごく。でも、勇気が出なくて…」

弘法「ほう。すなわち、それが貴方の真実なのでしょう。悟りを開かれましたね。ならば私はこれ以上言うことはありません。」

楓「でも、私は勇気が出なくて」

弘法「勇気? そんなものは必要ありません。なるべくしてなるのです」

楓「え、具体的には、その、どうすれば…」

弘法「そうですねぇ。あ、あそこにあるものはなんでしょうか」

楓「え、どれですか?」

弘法「えい」

楓、滝壺に落ちる。
水飛沫が空中に跳ねる。
ゴボゴボと楓の口から泡が出る音

小文「…楓。…楓。…大丈夫? さっきからぼーっとしてるけど。具合悪いん?」

楓 「…ううん。んーと、小文? …私、お坊さんに滝に落とされて…」

小文「え。どしたん。記憶喪失? 滝に尻餅ついてビショビショやけん先生にTシャツ買ってもらって着替えてからここに戻ってきたところやろ。…お坊さん?」

楓「Tシャツ?」

小文「今着とるやつよ」

楓「ホントだ…。弘法…大師…?」

小文「なんか、昔、この滝で修行したことあるらしいよ? ほら、そこの石碑にも書いてあるっちゃん」

楓「そっか…お坊さん…」

小文「しっかし、意外だったねー。アイツ」

楓「え? なに?」

小文「アイツよ。判。楓を川から引き上げるの手伝ってくれたじゃん」

楓「そ、そうなんだ」

小文「ほんとに記憶喪失じゃん。判かわいそ」

楓「ちょ、ちょっとお礼言ってくる!」

河原を走る音。

楓「判くん!」

判「…なに?」

楓「判くん。あの、さっきはありがとう!」

判「ああ、うん」

楓「あれ、…判くんも、Tシャツ?」

判「…佐伯さんを引き上げる時に、濡れちゃったから」

楓「ご、ごめん! 私のせいで…」

判「いいよ。このTシャツ、気に入ってるし」

楓「そんなお坊さんのTシャツが好きなわけない! 私に気を使ってるんでしょ!」

判「いや、俺、フツーに弘法大師好きだけど」

楓 「そんなわけない! あんな人を川へ突き落とすようなお坊さん、好きなわけない!」

判「え…。なにそれ。弘法大師でそんな逸話あったっけ」

楓「わあああああああ!」

判「えー…。なんだったんだよ。…しょうがない」

河原を走る音。

判「…あのさ、佐伯さん見なかった?」

小文「見てない…、っていうか、アンタんところに行ったんじゃないの?」

判「そうなんだけど、弘法大師の悪口言いながら走っていっちゃったんだよ」

小文「何よそれ」

判「俺もわかんないよ」

小文「あー、アレじゃない? 偏見まみれのアンタの反面教師になろうとしたとか」

判 「わかりづらいよ。って言うか、俺、偏見まみれじゃないし」

小文「自分じゃわかんないだろねー。ほら、アンタ、付設から転校してきたんでしょ? それで、私らを下に見てるとか?」

判「なんで付設のこと…」

小文「ぷぷー! テキトーだよ! カマかけたら引っかかっちゃってんの! 楓並に単純だね!」

判「そんなこと…!」

小文「ほら、楓と一緒にされてる怒ってるあたり、図星だね。弘法大師に偏見まみれの楓と同級生に偏見持ってるアンタ。同じようなもんでしょ。まあ、弘法大師に偏見持つって意味わかんないけど」

判「…やっぱり、よくわかんねーよ」

小文「それはそうでしょ。一言二言会話した後に価値観変わりました!って言われても信憑性ないし」

判「そっか。…その絵、…お前、絵、  上手いんだな」

小文 「楓はもっと上手いよ。って言うか、お前って呼ぶなし」

判「そうだな…。佐伯探しに行ってくるわ」

小文「いってら〜」

河原を走る音。

小文「二人とも、もっとラクに生きればいいのにねー。…ね、弘法大師さん」

滝の水音。