変な

登場人物

  • 新人(不問):転職したての新人。変な先輩が気になっている。欲望に忠実。
  • 変な先輩(不問):職場の先輩。健康オタク。
  • 質問に答えてくれた人(不問):歓迎会の場で質問に答えてくれた人。兼ね役でどうぞ。

所要時間(300文字あたり1分として計算)

約5分30秒(1700文字)

台本についての補足説明(ディレクション等)

「空腹」というテーマで書いた作品です。同じフレーズを繰り返すことでリズムをつくりつつ、淡々と進む作品として書きました。先輩のことがこんなにも気になっているのに、その健康的な姿勢は一切見習う気がない新人が大好きです。
前述のとおり、全体を通して一定のリズムをつくるようにすると、シュールでおもしろいんじゃないかと思っています。

本文

 ――変な先輩がいるのだな、と漠然と思った。

 二十人に満たない部署の中で、その人はその瞬間、存在していないかのように、誰からも声をかけられていなかった。

 まさかいじめ? 雰囲気が良さそうな職場に就職できたと思ったのに。

 嫌な気分を感じて、いざ集まった歓迎会の場で、それとなく聞いてみた。

「ああ、あの人を誘わなかった理由? 誘っても来ないからだよ。健康オタクなんだ。十八時以降の食事はしないんだってさ」

 別に嫌ってるわけじゃないよ、良い人だよ。笑いながら返ってきたその答えに、嫌な気持ちは消えてなくなった。

 代わりに、変な先輩がいるのだな、と漠然と思った。飲み干した中ジョッキは、最高の喉ごしだった。

 変な先輩は朝が早かった。入社早々遅れるわけにはいかないと、一時間も早く出社したのに、その先輩は先にいた。

 おはよう、と声をかけてくれた。お手製らしい、ラップに包まれたおにぎりを食べていた。

 試しに一週間、同じ時間に出社してみたが、毎日同じように声をかけられた。おかげでいつも二番乗り。

 変な先輩がいるのだな、と漠然と思った。朝ご飯代わりに買ったコンビニのシュークリームは、甘くて美味しかった。

 昼食時ちゅうしょくどき。みんなでわらわらと外に食べに出るときも、その変な先輩は声をかけられない。ごく自然に、息を吸うように、誰も気に留めずにスルーしていく。

 ある日、試しに残って先輩の様子をうかがってみた。小さめのタッパー二つ。それが変な先輩のお昼ご飯だった。

 ひとつには、少しのご飯と、鶏肉をメインにしたあっさりめのおかず。もうひとつには、ぎゅうぎゅうに詰められたサラダが入っていた。

 当然のように、先輩はサラダから食べる。確か、野菜から食べると色々健康に良かったはずだ。もぐもぐと、しっかり噛んで食べている。

 変な先輩がいるのだな、と思いながら、添加物まみれの、けれどとても美味しい惣菜パンをかじった。大盛りの焼肉弁当も美味しかった。

 業務の終わりを告げる鐘が鳴り、部署内がざわざわし始めても、変な先輩は何食わぬ顔で、ひとり、帰り支度を始める。

 他の人は、やれ今日はどこに呑みに行くだのなんだのと会話をしているが、その輪の中に先輩はいない。

 数日観察してみたが、例外なくそうだった。残業することもなく、きっちり定時内で仕事を終え、すっと帰って行く。

 やっぱり変な先輩だ、と思った。その日、それとなくタイミングを合わせて、一緒に帰ってみた。

「あの、先輩」

「ん、なに?」

「お腹、空きませんか。あの、えっと、十八時以降はご飯を食べないって聞いて……でも、うちって定時が十八時じゃないですか」

「ああ、うん。慣れれば意外と大丈夫だよ。大丈夫な体になってくる」

「朝ご飯も、お昼ご飯も、ご自分で作られてますよね? 栄養バランスは良さそうですけど、でも、量が少ないなって。よくそれでもちますね」

「まあ、ちょっとはお腹は空くよ。でも、それがいいんだ。空腹ってのはね――」

 変な先輩は、お腹を空かしておくことによる健康的なメリットを分かりやすく教えてくれた。仕事上でもたまに質問をしたことがあるが、この人の答えはいつも分かりやすく、端的だった。

 おかげで十分理解できたが、――ますます分からなくなった。

「先輩は、長生きしたいんですか? その、そんなに健康に気を遣ってるなんて」

「そりゃ、できるならしたいよ。ずっと健康でいられるならいいことだ。違う?」

「もちろんそう思います。そう思いますけど、でも、……それっておもしろいですか?」

 変な先輩から、不思議そうな視線が飛んでくるのを感じた。感じ慣れたその視線を意に介さず、一番聞きたかった質問をようやく先輩にぶつけた。

「朝も昼も夜も我慢して、ひとりで空腹を抱えながら仕事して、まっすぐ帰るだけ。そんな人生を長く過ごして……それって、おもしろいですか?」

 変な先輩は、ふっと笑った。

「君は、変な新人だね」

 でも言いたいことは分かるよ、と告げて、先輩は駅とは違う方向へと歩き出した。

 ここから三十分ほどかけて、歩いて帰るらしい。

 結局先輩は、答えをくれなかった。ポケットから取り出して頬張ったグミは、ほどよい食感と酸味がとても美味しかった。