登場人物
- 語り(不問):男の様子を描写するナレーター
所要時間(300文字あたり1分として計算)
約3分30秒(1075文字)
台本についての補足説明(ディレクション等)
「大正デモクラシー」というテーマで書いた作品です。大正デモクラシーとは、大正時代に盛り上がった民主主義的な風潮や政治・社会運動を総じて称する言葉です。それを作品に落とし込むにあたり、どうするかを考えた結果、こうなりました。ある程度史実に沿っていますがあくまでフィクションです。
今回は完全に朗読用として作成しております。いつもはしませんが、今回は解説ありのほうが読みやすいと思いますので少しだけ補足します。
- 市内を南北に走る大動脈:当時の東京市にて震災復興工事の一環で整備された「昭和通り」のこと
- 後藤市長:後藤新平(1857-1929)のこと。関東大震災に見舞われた東京市の復興計画を立案した
- 西で起きた大戦:第一次世界大戦(1914-1918)のこと。ヨーロッパを中心に勃発。連合国側に与した日本は、物資生産国として戦後特需(バブル)に沸く。しかし終結後間もなくバブルは崩壊し恐慌状態に陥った
- 庶民が立ち上がる力:民主主義的な一連の動き。大正時代に、普通選挙法の設立や政党政治などが始まった
最後の2文は、元号を「昭和」へと改める「改元の証書」に記載されている実際の宣言であり、昭和という新しい時代の到来を示唆するために引用しました。読みにくければ割愛しても構いません。また、私なりに調べた上でルビを振っているのですが、読み方が間違っている場合はお手数ですがご指摘いただけますと幸いです。
引用:https://www.digital.archives.go.jp/file/2515429.html
本文
市内を南北に走る、後藤市長肝煎りの大動脈も、今日はその活力を失ってしまったかのように静かだ。
男はその静けさに身を沈めるように、じっと大通りの様子を眺めていた。
風が冷たい。十二月も終わりを迎えようという冬の風が、男の心に突き刺さるような冷たさをもたらしている。空に昇るお天道様も、今日は雲にお隠れになっているようだ。そのせいか、どこか薄暗く、どこか寂しい。男は、通りの先の、その先を見据えるようにじぃっと視線を向けたまま、動かなかった。片手に持った新聞だけが、パタパタと風に揺れている。
悪夢のような震災から三年。この東京市にもだいぶと活力が戻り始めていた矢先の出来事だった。
今日、日本国民は静かに悲しみに暮れていた。男は、悲しみに暮れていた。
確かに内心では、「その日」もそう遠くないだろうと思っていた。かの天皇の身が病に冒されていることは、誰もが知っている事実だった。それゆえ驚きこそ少なかったが、けれども、それで悲しみが減るわけではない。
男は涙で滲む視界、近くて遠い道の先に、過去を見ていた。じっと佇みながら、この、わずか十五年の時代を見つめていた。
短くも、激動の時代だった。
西で起きた大戦により、好景気に沸いたときもあった。モノを作れば飛ぶように売れ、一部の成金どもの懐が暖まった。
かと思えば、戦争の終結により、一気に冬の時代がやってきた。作りすぎた製品の数々が有象無象と成り果て、儲けが露と消え、賃金が下がり、その傍らで、物価だけがあざ笑うかのように高止まりしていた。男のような庶民には、苦しい苦しい時代となった。
そこに来て、かの大地震だ。なんとも、理不尽にさらされた時代だった。いや、もしかするといつの世も、この世は理不尽で溢れているのかもしれない。よいときは一部がよい思いをし、わるいときは大勢が割りを食う。そういう風に、世界はできているのかもしれなかった。だが、だからこそ男が、庶民が、立ち上がる力を絞り出せた時代でもあった。おかげで得たものも多くある。
この風はもう、やまないだろうと男は思った。
かつて遠くから眺めた、かの天皇の優しげな微笑みを心に浮かべながら、男は涙を袖で拭い、身を翻す。
男はそっと歩き出した。途中で配られていた号外には、新しい時代が示されていた。
朕 皇祖皇宗ノ威霊ニ頼リ 大統ヲ承ケ萬機ヲ總フ
茲ニ定制二遵ヒ元號ヲ建テ 大正十五年十二月二十五日以後ヲ改メテ昭和元年ト為ス