正しい失恋の仕方

登場人物

  • 語り(不問):異星人
  • 女性(女):20代女性

所要時間(300文字あたり1分として計算)

約4分30秒(1400文字)

台本についての補足説明(ディレクション等)

特にありません。自由に演じてください。

本文


語り:部屋の中は、白を基調としたシンプ ルな内装で、人間一人がストレスなく過ごすには十分な広さだ。部屋のどこにも生命反応がないことから、居住者はどこかへ外出していると考えられる。

SE<玄関のドアが開く音>

入口のドアがギィイと甲高い音を立てて開いた。開いたドアから女性型の人間が見えた。おそらくこの部屋の居住者だろう。よし。ここから観察を開始する。我々の想定通りに彼女が行動するか。よくよく注意して観察するように。ん? どうした。… なるほど、よく気づい たな。諸君、彼女の目元を見たまえ。目の周りに施した化粧がわずかに崩れている。これは、彼女が涙を流したことに由来するものだ。涙を流すことは、失恋とい う事象における要素の一つに数えられる。彼女は手に持っていたカバンを部屋の隅に投げ、自らの体をソファに滑り込ませた。衝動的でイン モラルな行動だ。これも失恋における模範行動の一つだろう。

女性:あ〜、もう! マジで最悪!

語り:今の発言、翻訳は? … ふむ、感嘆符の後に、「本当に最も悪である」か。いわゆるスラングであって、直訳するのはナンセンスだが、察するに調子が良くない時に 発する常套句だろう。… しかし、誰もいない空間で、これほどの音量で叫ぶとは… 。彼女の精神状態は危険な領域にあるようだ。事前調査では比較的、理知的でおとなしい性質だったのだが、失恋の影響で一時的に変化が起きているのだろう。しかし、性質の変化がやけに激しいな。… よし、呼気の組成を分析してみよう。… やはりな。0.5mg以上のアルコールが呼気に含まれている。彼女は「ヤケ酒」という、失恋時にしばしば発生する儀式を行ったようだ。いいぞ。ここまでは我々の想定通りだ。彼女が眠りにつくまでに想定外の行動を取らなければ、検証は完了だ。

女性:もう! マジでな んなの! あっちから告ってきたくせに!

語り:どうやら思考回路が過去へ向いているようだ。相手との思い出に浸るのも想定通りだ

女性:いっつもいっつも気を遣うのはこっちでさ! 涼しい 顔しちゃって!

語り:相手への 不満を吐いているようだ。想定通りだ

女性:『俺のこと嫌いになった?』じゃねぇよ! そんなの…そんなの… 。大好きだ! ばか!

語り:む。翻訳機の故障か? メンテナンスを…。あ、待て。何か言うぞ。

女性:大好きだ! ばかーーーーー !!!

語り:… 翻訳機の故障ではないようだ

女性:… ばか… くぅ

語り:… 彼女は眠ってし まったようだ。さて、どうするか。最後の最後で、これまでの傾向と真逆の発言が出てきたわけだが… 。… ふむ、なるほど。確かに、彼女は泥酔状態にあったし、発言の整合性がとれなく とも不思議ではない、か。… だがね、これまでの人間を観察してきて、思うんだよ。つくづ く矛盾が多い生き物だと。好きなのに嫌い。信じているのに不安を感じる。正しいのに間違っている。そういった振る舞いを平然としていて、自分自身は疑問にも思っていない。… だから、今回の彼女の発言も、一時の誤りではなく、本心から発言しているように思うんだ。だから、その、つまり…… 。 私は、しば らく沈黙し、続きを話した。