登場人物
- 少年(男):小学生男子
所要時間(300文字あたり1分として計算)
約5分0秒(1419文字)
台本についての補足説明(ディレクション等)
特にありません。自由に演じてください。
本文
朝、少年は、 目覚めると同時に、ため息をついた。
またか……。少年はそう呟き、空中に浮かぶ 黒い雲のようなモヤモヤを見つめる。
ベッドで仰向けに寝ている少年と、天井との間、 その丁度、中間あたりに、 それはあった。
色は黒い。真っ黒だ。 形は……雲のような霧のような……、 一定の形をもたず、モヤモヤと空中に存在している。 大きさは、バスケットボールくらいだろうか。こいつは、いつからか少年にまとわりついている。 少年は、うるさそうに、手で振り払ったり、団扇(うちわ)であおいだりしてみたが、なんの効果もなかった。 いつも少年の周りで、何かいいたげに、しかし、何も行動を示さず、ただただ付きまとってくる。
もういい。こんなものは無視だ無視。少年は、朝食を食べるために、一階へ降りる。
その足取りは重い。
なるべく、母の顔を見たくなかったから、 朝食の間、少年は、ずっと俯いていた。
母は、今朝の天気や、 学校の行事について話しているが、少年は、何の反応も示さない。
でも、朝食を食べ終えて席を立つときに、少年は、真っ直ぐに母の姿を見た。母が昨日と変わりないことを確認したのだ。母の全身は、黒い雲で覆われていて、顔が見えない。手足も見えない。どこも見えない。
それなのに、いつものようにふるまう母が恐ろしい。
まるで、黒い雲なんて存在しないかのように、いつも通りにふるまう母が、 恐ろしい。
二階に戻った少年は、再びベッドに寝転ぶ。学校に行ったって意味がない。
どうせ、黒い雲に覆われていて、 誰が誰だかわからない。 少年は考える。
なにがいけなかったのだろうか。寝返りをうって、うつ伏せの姿勢になる。高反発のマットレスに顔を押しつけ、音を出さずに叫ぶ。なにが起きているんだ。そのままの姿勢で、両手両足を伸ばす。これからどうすればいいんだろう。ベッドと胸の間に両手を入れて、 勢いよく体をつっぱね、起き上がる。
少年は、突然に閃いた。 自分は何を悩んでいるのかと、 冷笑家めいた微笑みを口元に浮かべる。
なにも頭を悩ますことなんてない。わかりきったことじゃないか。
ベッドから抜け出し、窓をあけ、街の中央にある真っ黒な山をにらむ。
一目見ただけではわからない。山は綺麗な円錐の形に見えたが、実は、山の輪郭は常にゆらいでいる。
黒い雲が蠢いているのだ。おびただしい数の黒い雲が集まって、巨大な山のように見えるのだ。
少年は、窓を閉めて、身支度を整える。卸したての下着をつけ、上着をはおり、靴下を履く。
一応、ランドセルを背負う。カモフラージュのためだ。中身は教科書などではない。冒険のための食料と水だ。 玄関へ向かいながら、少年は、またしても、口元がゆるませた。
しかし、今回は冷笑家のそれではなく、無邪気な子供らしい笑顔と言えた。
少年は、心地よい高揚感に包まれていた。身体が軽い。
なにせ、全身全霊をもって 未知の存在に挑むのだ。 精神も肉体も、興奮でみなぎっている。
山のふもとへ着けば、きっと仲間がいるだろう。 少年と同じく、勇敢で清い心をもった同志だ。家から飛び出した少年は、熱狂をそのままに駆け出した。そして、少年の後ろから、黒い雲がついていく。
黒い雲は、さっきよりも、ずいぶんと大きくなっていた。