登場人物
- 私(不問):本好きな実業家。
所要時間(300文字あたり1分として計算)
約4分(1238文字)
台本についての補足説明(ディレクション等)
「月」というテーマで書いた作品です。このテーマに決まった際、障子の隙間から覗く月の光というビジュアルが浮かんだのでそのまま広げました。やはり月には黒猫と本が似合う。
短くて雰囲気のある朗読作品としてご活用ください。
本文
半分ほど開いた障子の向こう、東の夜空に満月が輝いている。その光と、間接照明を頼りに、私は、ようやく手に入れることのできた本を読む。
わずか一畳ほどしかない、部屋と呼ぶにも狭すぎるこの一室は、しかし、私がこの物件を購入する決め手となった空間だ。三階建ての、そのまた屋根の上に、出っ張るようにして設けられている秘密基地。きっと見知らぬ設計者も、こうしてひとりの時間を楽しみたかったに違いない。
上から下へ。右から左へ。文字を追う。端までくると、一枚めくる。紙どうしのこすれる音がわずかに響き、虫の声や風の音に溶け込んでいった。
この家の周囲に人の気配はなく、人工的な光もない。あるのは、あえて手を加えていない自然だけだ。手など加えずとも、彼らは勝手に伸び、好きなように生きていく。せめて私の土地でくらい、彼らも管理の枷から外してやりたかった。傲慢である自覚はある。私にとっては私の土地でも、彼らにとっては彼らの土地に違いない。だが、私に彼らの在り方を決めるだけの力があってしまう以上、この支配構造は、私にすら変えられないのだ。
また一枚、ページをめくった。今の時代まで名を残す文豪の言葉と、思想が、私に入り込んでくる。この彼が、読み手に対して見せたかった心が目に浮かぶ。彼のこの情熱が、計算されたものか、そうでないかまでは計り知れないが、それでも私は、自分の知識と、自分の経験と、自分の生活を糧として、懸命に想像する。私にとって読書とは、そういう行為だ。
分かった気になるときもあれば、もやもやし続けることもある。どんな結果になったって良い。結果を求める生活は、すでに十分すぎるほどしている。本を読む、この行為だけは、過程を噛みしめたいのだ。そのために私は、力をつけ、金を稼ぎ、貴重な紙の本を集めさせているのだから。
「美月」
ふと、気配を感じて顔をあげた。屋根伝いにやってきたのか、障子の狭間、月を背に、薄闇に両目を光らせて、黒猫が尻尾を揺らしている。室内にその影を落とし、しばらく、ゆらゆら、ゆらゆらとさせると、すとん、とその体を畳の上に落とした。しなやかな歩みでもって、わずかにその毛並みを私の体にこすりつけながら、ゆらゆら、ゆらゆらと、私の右脚、右太もも、腰の横を通ってゆく。そして、私がもたれかかっている壁と、腰との間にできた隙間をするりと通り抜けた。それから振り返り、私の左太ももに頭を載せる。
輝く双眸が私を見据えた。それはまさに、夜空にふたつの月が浮かんでいるようだった。私は、彼女の意図を察して、しかし無視した。彼女の声が聴きたかった。私たちはしばらく見つめ合い、やがて折れた彼女が、仕方ないと言わんばかりに、にゃあ、と小さく鳴いた。私は彼女の優しさに感謝しながら、その愛らしい頭を自らの左手で包んだ。再び彼女の名前を呼ぶ。
「美月」
かつて、かの文豪は、異国の愛の言葉を「月が綺麗ですね」と訳したという。
彼が生きていた三百年前も、月は、こうして輝いていたのだろうか。