登場人物
- アユ(女):若い女性
- シンドウ(男):太った中年男性
- 男:中年男性
所要時間(300文字あたり1分として計算)
約6分0秒(1803文字)
台本についての補足説明(ディレクション等)
特にありません。自由に演じてください。
本文
シンドウ「テセウスの船ってわかるかな?」
アユ「え、わかんないですぅ~」
シンドウ「例えばさ、アユちゃんが今食べてるお肉があるわけじゃん?」
アユ「ふむふむ」
シンドウ「そんで、昨日とか、おとといにも食べたお肉があると」
アユ「え~、あゆ、そんなにお肉ばっかり食べないですよ~」
シンドウ「ふひっ。ごめん、たとえ話だからさ。……それで、そうやって食べてきたもので、あゆちゃんの体ができてるんだよね。当たり前だよね。ふひっ。でもさ、一年前、二年前、もっと前に食べてきたものって、とっくに消費しきってるから、あゆちゃんの体の中には存在しない。一年前のあゆちゃんの体をつくってたものと、今のあゆちゃんの体をつくってるものは、まるまる、全部、入れ替わってるんだよね」
アユ「へえええ~、すご~い」
シンドウ「俺はさ、こうやってあゆちゃんと一緒に過ごしてさ、あゆちゃんの人生をつくる一部になりたいわけよ」
アユ「すご~い」
シンドウ「でもさ、それだと今食べてるお肉みたいに、明日には忘れちゃうわけだからさ。定期的に会いたいなって思うわけ。だからさ、ふひっ、そろそろ俺と付き合わない?」
アユN:鞄の中のスマホのバイブレーションが太ももに伝わってきた。ようやくこの地獄みたいな空間から解放されると思うと、つくり笑いのクオリティが一段階あがったような気がする。
アユ「シンドウさん、ごめ~ん。もう時間みたい」
アユN:申し訳なさそうに見えるよう、上目遣いと声の抑揚で演技する。
シンドウ「え、もうそんな時間? いやはや、あゆちゃんがいると楽しすぎて、時間があっという間だなぁ。ふひっ」
アユN:シンドウはカフェのやわらかいソファに沈めていた巨体を大儀そうに立て直している。立ち上がることすら億劫になるまで脂肪を蓄えるとはどんな神経をしているのだろうか。
シンドウ「あのさ、アユちゃん。さっきの話だけどさ、『エンフラ』なしで会ったりできないかなって」
アユ「ごめんなさい。私もそうできたら嬉しいんだけど……」
シンドウ「そ、そうだよね。ふひっ。『エンフラ』って、結構そういうの厳しそうだもんね」
アユN:私が所属している交際クラブ『エンジェル・フライ』はクラブで知り合った客と私的に会う事を禁じている。ほかの交際クラブ同様に。もちろん、交際クラブを辞めてその客と関係をもつのは構わない。というか、ほとんどのキャストは、太客と私的な愛人関係を結ぶことを目的にしている。
私はまだ人気キャストって程でもないから、そういう背景すら理解してないようなシンドウのような雑魚客も相手にしなければならない。思わずため息が漏れる。
シンドウ「ふひっ。アユちゃん、大丈夫? ボーッとしちゃって」
アユ「あ、ごめんなさい。シンドウさんといると安心感があって、つい……」
アユN:シンドウはにんまりと気色の悪い笑みを浮かべて去っていった。
ソファに座り直し、スマホを取り出して報告の一報をいれる。
アユN『シンドウ様2時間終了。問題なし』。
アユN:送信完了。本当は備考として『意味のわからない話でマウントをとろうとしてきてうざい』とか『顔に肉が付きすぎて気色悪い』とか書きたいところであるが、この商売はキャストにも良く思われなければならない。固定客の少ない私は、出勤機会を増やして将来の太客と出会う確率を増やさなければならない。そうして、まだ若いといえる年齢のうちに、少なくとも3年以内に『エンジェル・フライ』を抜けて愛人契約にこぎつけるのだ。まだ先は見えないが。
アユ「はあぁ」
アユN:ああ、いけない。またため息が。運気が逃げてしまう。老け顔にもなりたくないし。
男「あの、すみません」
アユN:カフェを出たところで声をかけられた。
スーツを着た、見覚えのない男だった。
男「よく顔をみせてくれませんか?」
アユ「は? ちょっとなによ」
アユN:男の顔が遠慮なく顔を近づけてくる。目を大きく見開いている。
アユN:瞬間、押し倒された。男の体が覆いかぶさる。
アユN:なにすんだよ! と声を出そうとしたが出ない。
腹が異様に熱い。なにか冷たく固いものが当たっている感触もあった。
男が素早く立ち上がり、走り去る。
腹にはナイフが刺さっていた。
アユ「は? まじで?」
アユN:誰だ。あいつ。わからない。恨まれてる? 客か?
意識が薄れていく。力を入れようとしても、自然に瞼が閉じてゆく。
誰だ。あいつは。
でも、一年前に食べた肉のことなんか、私にわかるはずなかった。