ムジナ

登場人物

  • 語り手(不問):語り手

所要時間(300文字あたり1分として計算)

約7分30秒(2394文字)

台本についての補足説明(ディレクション等)

特にありません。自由に演じてください。

本文

 貉(むじな)、という怪異がある。

 伝聞によると、狸やアナグマに似た外見をしている。

馬糞を饅頭のように見せたり、肥溜めを風呂のように思わせたりして人を化かすという。

また、方向感覚を奪い、人を道に迷わせることもあるという。

まーくんは、幼馴染のちーちゃんに手を焼いていた。

同い年で、ごくごく近所に住み、そもそも親戚であるので兄弟のようにして育てられた。

当たり前に同じ幼稚園に通い、お揃いの制服で通い歩く。

幼稚園はウチの目の前にあるので道に迷いようがない。

そのはずだ。

そのはずなのに、ちーちゃんは、一人では幼稚園にたどり着けない。

一人でたどり着けないならばまだいい。

隣で歩いていても、少し目を離した隙にあらぬ方向に歩きだしてしまうのだ。

さらにタチの悪いことに、ちーちゃんはいわゆるお転婆な子供ではない。

このくらいの歳の子はピョンピョンとせわしなく跳ね回るのが常だが、ちーちゃんはおとなしく物分かりのいい聡い子であった。

おすまし顔で喋りもせずにすたすた歩き、そのまま静かに間違った方にどこまでも進んでいく。本人に間違っている自覚があり困り顔でもしてくれたら、周囲が助けてくれることもありそうなものだが、なぜだか自信満々に歩いていくものだから、まさか迷子であろうとは誰も思わない。

ちーちゃんのその特性は「方向音痴」として親たちは認識していた。色が白く、小さな耳が愛らしい子供であるが故に、そのような些細な瑕疵はむしろ愛嬌があると捉えられ、間違った方向に歩いていく様を親たちは微笑んで見守っていた。

しかし、まーくんは違った。ちーちゃんのその特性はただ事ではないと本能的に感じていた。それは幼子特有の鋭い感性だろうか。ちーちゃんが無心で歩いていく様を見て、誰かに誘い出されていると感じ取ったのだった。

だから、まーくんは、ちーちゃんと一緒に歩くときは決して離さないように強く手を握った。

 山に行ったのがいけなかった。

幼稚園の遠足行事で、親子同伴の登山が行われた。登山といっても、近所にある小さな山の中腹の展望台までのゆるやかなハイキングコースを歩くといった内容であり、それが危険なことだとは微塵も感じさせなかった。

県道に面したささやかなアーチで飾り付けられた登山口から道のりは始まる。アーチには「とざんぐち」とピンク色のまるっこいフォントで書かれた文字と、その両端にアニメ調にデフォルメされたタヌキのイラストがあった。

園児とその保護者たちは、和やかな雰囲気で山の静寂に分け入ったのだった。

ハイキングコースは鬱蒼とした木々に挟まれた道を延々と登っていくものだった。道は舗装されており、道幅は、車両は通れそうにないが人が通るには充分過ぎるほどだった。日の光が木々に遮断されて薄暗かったが、直射日光が避けられ、ほどよく風も吹いていたため快適だ。

まーくんはちーちゃんと手をつないで横並びに歩き、前はまーくんのお母さん、後ろはちーちゃんのお母さんという陣形で歩いていた。見渡してみると、ほかの園児たちも似たような並びで歩いており、くねくねとうねるハイキングコースの直近の曲がり始めまでは園児と保護者のミルフィーユが連なっていた。

まーくんは、ちーちゃんの様子を横目に見た。

いつものように真っすぐな瞳で正面を見据えていた。

いつものように。

それが、ちーちゃんの最後の目撃情報となった。

展望台についたとき、まーくんの後ろから声がした。

「ちーちゃんが、いない」

まーくんは反射的に首を横に向けるが、ちーちゃんは確かにいない。

握っていたはずの手をぶんぶん振ってみるがどうにもならない。

ちーちゃんは下腹部からせり上がってくる強烈な焦燥を感じ、走り出した。

背後から保護者の声が聞こえた気がしたが、それどころではなかった。

それほど長くない道のりである。疲れて途中で歩きもしたが、数分で登山口までついてしまった。県道まで降りて見渡すが、誰もいない。仕方がないので再び登山口を駆け登る。入口のアーチに描かれた呑気な顔のタヌキが憎々しく思えた。

登る途中でちーちゃんのお母さんにすれ違ったが、木々の隙間を凝視しちーちゃんの名前を呼ぶのに必死で、まーくんには気づいていないようだった。

 捜索隊も途中で加わり、全員でちーちゃんを捜したが、見つからなかった。

ちーちゃんは神隠しにあったのだ。

 小学生になったまーくんは、今でもたまに眠りにつく前にちーちゃんを思い出す。

あの細く短い山道で、どうしてちーちゃんはいなくなってしまったのか。

君はどこにいってしまったの?

思い出の中のちーちゃんに問いかける。

ちーちゃんは、道に迷ってばかりの迷子の天才だったから、あんな迷いようのない一本道でも迷子になってしまったのかもしれない。

そう思うと、微笑ましくもなってくる。その一瞬後に胸に暗い影が差すとしても。

幼稚園に通う道、近所のスーパー、公園、公民館、図書館、プール、どこに行くのにも、ちーちゃんは迷子になった。幼稚園にいくときなんか、ほぼ毎日通うのに関わらず必ず通り過ぎ、公園にいくときは必ず手前で左に曲がろうとする。

気づいた。

ちーちゃんは、迷子になっているのではなく、どこか違う場所へ向かって歩いていたのではないか。

後ろ足で思い切りベッドから飛び上がり、学校でもらった災害避難用の地図を机に広げる。

幼稚園の先、公園に向かって左、スーパーの通りを右折した先、これも、あれも、そうだった。

間違いない。ちーちゃんは、迷っていたわけではなかったのだ。いつでもまっすぐにあの山に向かって進んでいたのだ。

あの山が関わってくるのならば、これは神隠しと呼べるものでもない。

いわば、これは呪いなのだろう。

残念なことに心当たりはある。今では誰も真に受けないほど、古い古い物語。

しかし、物語は史実であり、現に、自分たちはあの子孫なのだから。

いつか、自分も呼ばれるのかもしれない。

カチカチ山に。